
〜自信は、完璧さの先にあるのではなく、不完全な自分を受け入れた瞬間に芽生える〜
娘の涙が教えてくれたこと
私の娘には学習障害の特性があります。
学校の授業は、理解できたことを土台にして次の学びを積み上げていく「積み上げ型」です。娘は毎日その階段を一段一段登ろうとしていますが、その階段はとても高く、時には足をかける場所すら見つからないほど。
努力をしているのに、前に進めない。
「もう無理かもしれない」と涙をこぼす日もあります。
そんなある日、習い事の先生から娘に向けて声がかけられました。
「もっと自信を持ってね。あなたならできるよ。」
その言葉には温かい愛情が込められていました。それを感じたからこそ、私はふと疑問を抱きました。
「自信って、どうやって持つものなんだろう?」
「自信は、”できる人だけが持てるもの”なの?」
なぜなら、私自身がずっと自信を持てなかった人間だったからです。
🌸英語が得意だった私が、それでも自信を持てなかった理由
英語は周りの誰よりも得意でした。
発音も褒められ、コンテストに出ることもありました。けれど、私はずっとこう思っていました。
「もっとできる人がいる。私なんてまだまだだ。」
自分の中で勝手に「理想の誰か」を作り上げ、その人と比べては自分の価値を低く見積もっていました。
あるコンテストで、審査員の方から指摘を受けました。
「あなたの発音にはクセがあり、一部聞き取りにくいところがあります」
胸に突き刺さりました。
「得意なはずの英語ですら、私は完璧じゃない」
そう思った瞬間、自信は音を立てて崩れていきました。
ですが同時に、心の奥でそっと湧き上がる声がありました。
「それでもあなたは挑戦した。人前に立ち、伝えようとした。その行動そのものが、あなたの強さじゃないの?」
🌷自信とは、”できるようになった結果”ではなく、”挑戦し続けた心”の中で育つ
私はそのとき初めて気づきました。
自信とは、完璧になったときに与えられる「称号」ではありません。
「不完全な自分でも、前に進んでいい」と受け入れた瞬間に生まれる、小さな灯火のような力。
- 失敗しても諦めなかった
- 思うようにできなくても、もう一度やってみようと思えた
- できない自分を責めず、「今はまだ途中」と思えるようになった
その瞬間、一筋の光が心に差し込みました。
「ああ、これが自信の芽なんだ」と。
🌱だから私は信じています。「できない子なんて、ひとりもいない」と
娘の姿を見守りながら、私は思います。
教室に来る子どもたちと接しながら、いつも心の中で語りかけています。
「大丈夫。今はまだ途中なだけ。あなたの中には、必ず芽吹く力がある。」
自信とは、人から「持ちなさい」と渡されるものではありません。
信じてくれる大人の存在と、挑戦し続ける経験の中で、静かに、でも確かに育っていくものです。
🌈おわりに 〜あなたのお子さまの心にも、必ず”種”がある〜
自信は才能のある人だけのものではありません。
完璧な人のものでもありません。
自信とは、傷つきながらも、それでも歩みを止めなかった人の心に宿るもの。
私はこれからも、一人ひとりの子どもたちの心にある”自信の種”にそっと寄り添い、その芽が出る瞬間を、信じて待ち続ける人でありたいと思います。
お子さまがもし今、不安や葛藤の中にいるとしても、それは「自信がない」のではありません。
自信の芽を育てている、まさにその途中なのです。









